陸上競技協会
沿革
昭和24年に陸上競技の愛好者が集まって陸上競技協会の前身である陸上競技部が産声を上げ、青年団を主体にレクリエーション的競技会を開催しながら陸上競技人口の拡大に取り組み競技会の運営についての研修が行われていました。
昭和31年、体育協会の設立とともに恵庭陸上競技協会として加盟し、初代会長には野原牧象氏が就任しております。
昭和35年に恵庭公園内に陸上競技場が建設され、昭和53年には日本陸連3種公認競技場に改修され石狩管内を中心とした競技会が開催され、昭和55年には第5回北海道小学生陸上競 技大会の主管を務めた事もありましたが、全天候競技場による写真判定装置を備えなければ公認されないという時代の流れにより平成10年には公認競技場を廃止せざるを得なくなりました。
昭和40~50年台には南恵庭、北恵庭、島松の三駐屯地、恵庭市役所、恵庭南高校、恵庭北高校の陸上部員が全道大会や全国大会で活躍し ております。
平成の時代に入ると、恵庭南高校、恵庭北高校の陸上部員の活躍が中心となり、全国高校総体や国民体育大会で優勝する選手も多数輩出されており、平成4年伊藤佳奈恵(北高2年)は100mで11”62の日本新記録を樹立、平成7年~10年は実業団チームとして三英社が長距離選手を集め活躍していました。
現況
本協会の審判活動は陸上競技場の公認廃止により、管内唯一の開催地である千歳市青葉競技場での審判業務が中心となっておりますが、主催事業として恵庭市民スキー場を発着点として開催されていた恵庭渓谷マラソン が、道道恵庭岳公園線の通年開通により現在は恵庭マラソンと名称を変え、中島公園を発着として漁川河川敷を走るコースで本年第34回を数えます。
競技者は、高校生が中心となりましたが、平成18年に設立された北海道ハイテクACの福島千里選手は、平成20年に100m11”21、 200m22”89の日本新記録を樹立し、平成20年の北京大会その後もロンドン、リオと三大会連続五輪選手として活躍しております。
今後に向けて
本協会は陸上競技場の公認廃止も相まって新規の審判登録者が無く高齢化が進んでおり、 市内に5校ある中学校では陸上部の廃部が進み2年後には恵庭中学校1校となることが予 想され、今後は中学生の陸上競技活動を支える組織の確立、また練習環境の整備を行政に訴え競技力の向上を目指した組織を構築しなければならないと考えております。
また、今年は、平成24年に少年団登録をした恵庭TACから初の全国小学生陸上競技大会 への出場選手が誕生し、工藤翔太が5年生男子100mで全国大会優勝を果たしており、来年度6年生での連覇をはじめ、今後も北海道代表選手として後輩の手本となる活躍を期待してお ります。